148センチの日常

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【そもそも正しさとは】本当の正しさを知らずに“自分は正しい”とおもいこむ危うさ

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【自分の正しさ、他人の正しさ】

「人間ってさ、

 

自分が間違ってると気づいた時

すぐにそれを認めて謝るより、

 

どうやったら自分が間違ってなかったことになるか、

どうやったら自分が正しいことになるかって

 

考えるところない?」

 

(「橋を渡る」より引用)

 

このセリフ、

どきっとしませんか。

 

 

私は、共働き家庭に育ちました。

 

祖父母とも一緒に住んでいたので、

それが“普通”だと

思っていました。

 

共働き三世代同居

“正しい家庭のあり方”だと

思っていたのです。

 

イメージしていた自分の将来は、

働いてひとりで生活する、

母が結婚した年ごろに私も結婚して、

共働きで子育てをする…

 

まるで何かのCMのような

姿でした。

 

でも自分ではそれが

“正しい自立”だと

思っていたのです。

 

だから私にとってそれ以外の道は

全部間違いでした。

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【自分は絶対に正しいと、思いこむ怖さ】

 

「・・・そうじゃなくて、

俺が言いたいのは、

お前は正しいってことなんだよ。

 

正しい奴は、

たとえ自分が間違ったとしても、

それを正しいと思い込むんだよ」

 

(「橋を渡る」より引用)

 

“正しさ”は思いこみすぎると、

実はやっかいです。

 

自分の思う正しさは

どこまでいっても

“自分の思う正しさ”のままであり、

 

他人に押しつけていいものでは

ありません。

 

他人には他人の、

それぞれが思う“正しさ”が

あるのです。

 

まじめにいい子で

歩んできた自分…

 

苦しかったけれど、

当時の私には

まじめにいい子で生きることが

“正しい生き方”でした。

 

だから、

私の“正しさ”は

みんなの“正しさ”だと、

同じだと思いこんでいました。

 

いま思い返せば

子育てのなかでは、

自分の信じる正しい生き方を

夫に押しつけるような所も

多々ありました。

 

「・・・だから、

私が間違ってるの。

 

・・・でも私には、

間違っている自分のほうが

正しく見えるのよ」

 

 (「橋を渡る」より引用)

 

「私の信じる“正しさ”と

他人の信じる“正しさ”は

ちがうんだ」

 

今になって

やっと

気づきました。

 

正しい生き方も

間違った生き方も、

本当は存在しない。

 

ただ

私の人生と

あなたの人生が、

あるだけなのです。

 

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【そもそもそれは本当に“正しさ”なのか】

しかし、

話はこれで終わり、

ではありません。

 

私たちが日ごろ“正しさ”としているものは、

正しさでもなんでもなく、

ただの“意見”だった

のです。

 

「本当に正しい」ということは、

誰にとっても正しいということだ。

 

 (「14歳の君へ どう考えどう生きるか」“意見”の章より引用)

 

・・・なんですって?

 

「さっきまで話していた“正しい”の話と、

矛盾してるよ!」 

 

そう叫びたくなりますよね。

 

自分が正しいと思っていることを、

正しくないと他人に言われて腹が立つのは、

それが、

ただ自分で正しいと思っているだけのことだからだ。

 

(中略)

 

もしそれが本当に正しいことだとしたら、

正しくないと言われて、

どうして腹が立つだろう。

 

だって、

それが本当に正しいことなら、

他人にどう言われても

それは正しいはずだからだ。

 

 (「14歳の君へ どう考えどう生きるか」“意見”の章より引用)

 

つまり、

国や立場や都合や好き嫌い・・・

そういったことに関係なく、

 

生きているすべての人が

「これは誰にとっても本当に正しい」

言えるものが

“本当の正しさ”

なんだというのです。

 

ただ注意してほしいのは

これは多くの人が思っているから正しい、

ということと

イコールではないことです。

 

大勢の人が思っていたって、

間違っていることは、

間違っている。

 

大勢の人が一足す一は四だと思っていたって、

それが正しいことにはならないのと

同じだ。

 

誰か偉い人が正しいと言ったから

正しいと思うのも違う。

 

 (「14歳の君へ どう考えどう生きるか」“意見”の章より引用)

 

わかりやすい例えです。

 

まるで哲学の世界です。

148cmnonitijyo.hateblo.jp

自分の正しさと

あなたの正しさは違う。

 

けれどそれは本当は

正しさではなく、

意見なんですね。

 

自分の正しさ意見

あなたの正しさ意見は違う。

 

こう置き換えると

しっくりきますね。

 

私たちが日ごろ“正しさ”としているものは、

正しさでもなんでもなく、

ただの意見なのです。

 

だから立場や時代が違うと

正しさも変わってしまっていたのですね。

 

そして本当の正しさとは、

1+1=2のように、

誰にでも正しいと思えるもの

“本当の正しさ”なのです。

 

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【“正しさ”という言葉を“意見”と置きかえてみる】

私たちが日ごろ使っている

“正しい”

という言葉は、

 

“意見”

と置き換えられるものが多いことに

気がつきませんか。

 

また、

“本当の正しさ”を知らずに

正しさを追い求めていることにも

気がつきます。

 

“本当の正しさ”にたどりつければ

本当はよいのでしょうが、

すぐにはたどりつけません。

 

だったら

できることからしていったら

いいのです。

 

“正しいか”、“間違っているか”と

どちらが勝つか負けるかするまで

闘い続けるのではなく、

 

まずは“正しさ”を“意見”と

言い換えてみるところから

始めませんか。

 

そうすれば

「なによ!こっちの方が正しいに決まっているわ!」

腹を立てることも少なくなるでしょうし、

 

「私の意見とは違うけど、

そういう意見もあるのね」

と、

自分の意見を押しつけすぎずに

落ちついて相手の話を聞けるように

なるかもしれません。

 

 

 

【今回紹介した本はこちら】

橋を渡る (文春文庫) [ 吉田 修一 ]

 

14歳の君へ どう考えどう生きるか [ 池田 晶子 ]