148センチの日常

ちょっとラクに日々生きる!うつになったから思うこと、大好きな本や暮らしの出来事をつづるブログ

【生きる源は自分の好きのなかにある】他の世界を見ること=自分の日常を見つめなおすきっかけ

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【もくじは起・承・転・結!?】

こんにちは、

こゆきうさぎです。

 

今日ご紹介するのは

温泉気分にぴったり?

かもしれない、こちらの1冊です。

 

「あたたかい水の出るところ」

=温泉か銭湯物語

・・・と思われた方は、ぜひ

この本を開いてみてください。

 

期待を大きく裏切ってくれること、

間違いナシ、です。

 

はじめに目をひかれるのは

「もくじ」ページです。

 

この物語は4つの章の順番で

話がすすんでいくのですが、

もくじの章も文字通り

 

「起・承・転・結」

 

と、書かれています。

 

そして

「起・承・転・結」それぞれに

章タイトルがついているのですが、

実は「結」の章タイトルから

 

「このお話の最後は、

よい方向でまとまるんだな」

 

ということがふんわりと

わかってしまうのです。

 

しかし、

そこで本を閉じるのは

まだ早い・・・!

 

この「結」に

たどり着くまでの展開が、

なかなかの展開なのです・・・。

 

【やたら長い「起」の章だけど・・・】

主人公は温泉大好き女子高生

大島柚子(おおしま ゆず)です。

 

温泉の湧きでる銭湯「松の湯」の

常連客でもあります。

 

「起」の章では

柚子の温泉銭湯での様子や

柚子の家族関係をチラ見せしつつ

話がすすんでいきます。

 

この「起」の章、

とにかくやたら長く、

 

「起」だけで

本の約1/3を占めています。

 

「これでは

ただの温泉好き女子高生の

のほほん温泉銭湯ばなし

ではないか・・・」

 

わたしはそう思いました。

 

しかし!

この「起」の章は文字通り、

「序章」にすぎませんでした。

 

【自分の置かれている状況は、他の世界をみて初めて気づける】

「承」の章に入り、

主人公・柚子の家族背景

あきらかになるにつれ、

 

一見「フツー」に見えた柚子や

その家族の、

それぞれに抱えている問題が、

浮きぼりになってきます。

 

柚子が銭湯で

ある理由から倒れてしまいます。

 

入院した病院の

おじいちゃん医師・オンジの言葉が、

ずしりと物語全体に響きわたります。

 

きみは、自分の家庭が、

フツーだという。

 

それは、

なにと比べて言っている?

 

テレビのホームドラマ

出てくるような、

幸せな家庭だという意味で、

フツーなのか。」

 

(中略)

 

子供には、

自分の体験の全てが

『フツー』であると

感じられる。

 

たとえそれが、人権的には

どうかと思うような扱いを

受けている場合であったとしても、

 

それ以外の人生を知らなければ、

子供はどうやってそれを、

異常と見抜くことができるだろう?

 

(「あたたかい水の出るところ」より引用)

 

ひどい目にあったとき、

それが「ひどいことなんだ」と

気づくためには、

他の世界を知ることが必要です。


でも

比べるものをもたない人、

特に子どもにとっては

 

その家庭状況は

自分のなかの日常であり、

「フツー」であるため、

 

「ひどい目」に合っていることに

気がつかないのです。

 

柚子は目に見える暴力を

受けているわけではありません。

 

しかし

柚子の家族内での立ち位置が

少しずつはっきりしていくにつれ、

 

「あれ?この柚子の立ち位置って、

実はかなり、しんどいかも??」

 

ということが

わかってきます。

 

でも柚子にとっては

それが日常で、

それが自分の立ち位置で、

 

その場所で生きるしか

ありませんでした。

 

 

だからこそ、

柚子にとっての温泉銭湯

「心の底からあたたかくなれる場所」

であり、

 

「生きる理由」を柚子に与えてくれる、

唯一の場所なのです。

 

【生きる源であるあたたかな場所は、自分の好きのなかにある】

以前に紹介した

「哲学のえほん」という本で、

哲学者のサルトル氏は

こんなことを述べていました。

 

ワタシたちに生まれてきた意味は

ないのでしょうか。

 

そうなんです。

ワタシたちは

なんの意味もなく

生まれてきちゃったのです。

 

(「哲学のえほん」

サルトル氏の「実存は本質に先立つ」より引用)

 

そもそも人は

生きる意味をもたずに

誕生している存在なんだ。

 

それは同時に

「生きる意味は自分で作っていい」

「好きなものは自分でつかんでいい」

ということでもあります。

 

人生は、

好きなものがひとつあれば、

生きるに値する。

 

身近な生活が、

どんなにゴタついて、

とっちらかっていても、

 

それで、

世界のすべてをキライには、

ならずにすむ。

 

わたしは、

この場所が好きだ。

 

だから、

この場所を有する星の上でなら、

生きていくことができる。

 

(「あたたかい水の出るところ」より引用)

 

「生きる意味」は

自分が好きなものの中に

あります。

 

どんな状況にあっても、

自分が好きなものを

しっかりつかむことができれば、

生き続けられます。

 

自分の好きなものは

しんどいこともある人生で

光となり

あたたかな場所となり、

生きる源になります。

 

柚子にとってのあたたかい場所が

温泉であったように、

温泉からつながった人たちとの

あたたかな関係だったように、

 

わたしの中にも

あなたの中にも

 

人生をあたたかくしてくれる場所は

必ずあります。

 

「自分の好きなものなんて、ない」

という人も

いるかもしれません。

 

けれどそれは

まだ見つけていないだけ、

まだ出会っていないだけです。

 

だからまずは

何でもつかんでやってみて、

 

「自分の好き」に自分から

出会いにいくところから、

始めてみませんか。

 

ではまた。

 

【今回紹介した本はこちら】