148センチの日常

ちょっとラクに日々生きる!うつになったから思うこと、大好きな本や暮らしの出来事をつづるブログ

【人生を逃げる方向を間違わないために】“自分”として生きられない男Xが、落ちた道とその末路

スポンサーリンク

【人生から逃げたくなったとき、絶対に逃げてはいけない方向がある】

 

こんにちは、こゆきうさぎです。

 

うつを患っていたとき、とても悩んでいたことがあります。

 

それは「死ねない、けれど“自分”としても生きたくないということでした。

 

148cmnonitijyo.hateblo.jp

 

でも人生の逃げ方にも、絶対にアカン方向というのは存在します。

 

絶対にアカン方向に逃げたら、その後の人生はどうなってしまうのか?

 

それを読みながら体験できてしまう物語があります。

 

 


f:id:koyukiusagi:20200818201417j:image

 

【結婚していた男は、“別人”だった…?小説・ある男】

2019年の本屋大賞・第5位は平野啓一郎さん【ある男】という小説です。

 

【あらすじ】


弁護士の城戸のもとに、かつての依頼者である里枝から、ある依頼が届く。

 

里枝が再婚した夫(X)の死後、夫が“名乗っていた”人物まったくの別人だったことがわかったのだ。

 

混乱した里枝は城戸に相談し、調査を依頼するのだが…。

 

 

なぜ男は、“別人”となったのか?

 

死ねない、けれど“自分”として生きることもできないとき、人はなにを考え、何を選ぶのか・・・

 

【夫(X)の正体をつきとめること…が、主題ではなかった】


わたしは初め、この本の目的は里枝の夫だった“X”の正体を明らかにすることだと思いながら読んでいました。

 

そのため何が言いたいのかよくつかめない序の章や、弁護士・城戸の人生にページをさかれていること、そしてなかなか“X”の正体にたどりつかないことにいら立っていました。

 

 

しかし1/3ほど読み進めたところで出会った文章が、「この本はXの正体をつきとめる

ミステリーだ」という思いこみをふき飛ばしました。

 

 

死ねば、その瞬間から 

ー微塵の遅れもなく!ー 

この意識は絶たれ、

その後二度と何も感じず、

何も考えることが出来ずに、

 

ただ時間が、

生きている者たちのためだけに

滞りなく過ぎていくことに、

完全に無関係であり続ける。

 

(「ある男 /平野 啓一郎 」より引用)

 

 

そうです。

 

この本は“自分”としては生きられないけれども死ぬこともできない“ある男X”の物語と、“X”の人生に触れることで自分という存在、人生に悩む弁護士・城戸の物語だったのです。

 

【死ねない、けれど“自分”としても生きられないとき、ある男がとった選択】

“自分として生きたくない”とは思う。

 

けれども“死ぬ”こともできない自分に、絶望したことはありませんか。

 

わたしはあります。

 

“わたし”という名をもった、この“身体(イレモノ)”が本当に疎ましく思い、この“身体(イレモノ)”から魂だけを無くす方法を、真剣に探しました。

 

人間の最後の居場所であるはずの

このからだが地獄だというのは、

どんな苦しさだろうかと考えた。

 

(「ある男 /平野 啓一郎 」より引用)

 

何をきっかけとし“自分の身体”を地獄と感じるのか。

 

わたしにとってはそのきっかけは「うつ」という病気でしたが、そのきっかけは人それぞれ違います。


“X”とわたしの感じた地獄もまた、違うものです。

 

 

けれど、どんな地獄にいようと地獄は地獄

苦しいし、しんどいのです。

 

そこから“自分”を無くしたいのです。


しかし、そんな地獄のなかでさえ死を選ぶことができないならば、どうしたらいいのでしょう?

 

死ねないならば、生きるしかありません。

 


でもどうやって?

 


“自分”として生きることはわたしにとって、“X”にとって地獄でしかないのに?

 

【ある男】という小説には、そんなしんどさの中に生きる、死ねずに生きざるを得ない

“X”が、地獄のなかで選んだ生き方について書かれています。


しかしその方法は法律上、けっして許されるものではありませんでした。

 

【“X”の人生に触れた弁護士・城戸の変化】

この物語では、“X”の正体を調査している弁護士・城戸の人生についても多くのページをさいています。

 

弁護士の城戸は“別人として生きる”という選択をした“X”に強くひかれ、憧れを抱きます。

 

“X”の選択した生き方はある意味、城戸が抱えていた地獄を生きながら手放す方法でも

あったからです。


けれどその反面、“X”のような道をけっして選べない“自分”であることに、城戸は生き苦しさを覚えていきます。

 


城戸はバーのカウンターでつかの間“X”になり、“X”の人生を語ります。

 

カウンターで“X”として振る舞うそのひと時だけが、城戸に“城戸”としての人生から離れられる、唯一の時間でした。

 

【他人として生きれば、しわあせになれるのだろうか】

自分の人生、地獄のような人生を生きながら手放せたとしたら。

 

別の人物としてやり直せたら、どんなにいいでしょうか。

 

死ねないのならば生きるしかない。

 

でも自分の目の前には、自分だけの地獄が広がっている。

 

そこにあるのは、深い悲しみと絶望でしかありません。

 

“X”はその地獄から逃げました。

 

本来の自分を捨て、別人として生きることで地獄を手放そうとしたのです。

 

 

“X”が抱えこんでしまった地獄は、“X”にはどうしようもなかった出来事からの要素が強く影響しています。

 

 

“X”自身が最期にみた景色はしあわせに見えたかもしれません。

 

 

でも“X”がいなくなった世界で、“X”が愛した人たちが“X”のついたウソの人生によってこんなにも苦しんでいるのをみた後でも、“X”の選択はよかった、と言いきれるのでしょうか。

 

【地獄から逃げる方向と方法は、よく見定める】

今、目の前には地獄しか見えていないなら、その地獄から全力で逃げた方がいい。

 

逃げるが勝ちという言葉があるように、逃げることも1つ手段なので、どうしようもなくなったときは1回逃げてみるのは大事だとおもいます。

 

ただし、逃げる方向と方法は、よく考えて選んだほうがいいは、この本を読んでしみじみ思ったのでした。

 

【今回紹介した本はこちら】