148センチの日常

ちょっとラクに日々生きる!うつになったから思うこと、大好きな本や暮らしの出来事をつづるブログ

【病名で人をくくることの怖さ】自分がラクになった方法で、相手も必ずラクになるとは限らない。

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こんにちは、

こゆきうさぎです。

 

看護学生だったころ

やってしまった間違いは

 

“病名”で調べた標準看護を

そのまま患者さんに

あてはめることでした。

 

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 【病名がおなじでも、あなたとわたしの経験はすべて重なりはしない】

もしAさんとBさんが

おなじく“うつ病”と

診断されたとしましょう。

 

AさんとBさんには

似ている症状もあれば

 

Aさんにしか出ない症状、

Bさんにしか出ない症状も

あります。

 

その症状のつよさや

AさんとBさんが感じる

しんどさは、

決しておなじではありません。

 

うつ病発症の状況が

たとえ似ていたとしても、

似ている考え方の傾向が

あったとしても、

 

Aさんがたどる道と

Bさんがたどる道は

重なりきることはありません。

 

なぜならAさんとBさんは

ひとりひとりの

ちがう人間だから

です。

 

ちがう人間が

おなじ病名の病気に

かかったからといって、

 

おなじ治療をして

おなじだけの年数で治るのか

と言われたら、

 

こたえはNOです。

 

【直接メッセージのやりとりで、救われる人もいれば、しんどくなる人もいる】

以前わたしは

ある掲示板に、

書きこみをしたことが

ありました。

 

その掲示板をみたAさんという

おなじうつ病で療養中の方から

直接メッセージをいただきました。

 

 Aさんのメッセージには

「お互い、はげましあって

うつを乗り越えましょう」

とありました。

 

Aさんからのメッセージに

返信するかたちで、

しばらくやりとりが続きました。

 

しかし、

そんなやりとりをしているうちに、

わたしはだんだんと違和感

感じるようになりました。

 

Aさんは毎回のように

自分の置かれている状況を、

書いてきます。

 

するとわたしも自分の状況を

語らなくてはいけないような

つよい義務感に駆られ、

ひどく消耗するようになったのです。

 

その頃はまだ

症状がしんどい日のほうが多く、

 

顔が見えない相手なだけに

書く内容にもかなり

気をつかっていました。

 

1時間も2時間も考えても

返信がまとまらず、

 

なにも打てないまま

時間だけが過ぎていきました。

 

そんな時ふと、

「自分は一体、

なにをしているんだろう」

思ったのです。

 

うつの症状がつよく、

仕事ができなくなって

休職しているにも関わらず、

 

おなじ病名だという

Aさんの話を読み、

こちらの状況を話し、

さらに、しんどくなっている。

 

そこに一体なんの

意味があるのだろう。

 

これは本当に

「お互い、がんばって

乗り越えましょう」

ということなのだろうか。

 

わたしはただ、

しんどくなる一方なのに。

 

 

結局Aさんへの返信は

少しずつ日にちが空くようになり、

自然とやりとり自体も

フェードアウトしていきました。

 

【自分がラクになった方法で、相手も必ずラクになるとは限らない】

ずっとあとになって

思うようになったことは、

 

Aさんはよかれと思って

わたしにメッセージを

送ってこられたのではないか、

ということです。

 

当時、おそらくわたしよりも

うつ病の回復において

すこし先をいっていたAさん。

 

きっと、おなじように

直接メッセージをやりとりする中で

Aさん自身が

癒されていったのではないか。

 

そして、

その方法でおなじ“うつ病”で

しんどい思いをしている人を

すこしでも良くなるように、と

思っていたのかもしれません。

 

はたまた、

Aさん自身が自分の身の上を

はきだしたくて

わたしにその相手を定めたのかも

しれません。

 

それは今となっては

どれも想像にすぎません。

 

しかしそれと同時に思うのは、

人によって合う抗うつ剤

ちがうように、

精神療法の細かな内容が

ちがうように、

 

おなじ病名であっても

回復の過程も

必要としている関わりも、

それぞれ違うんだ、

ということです。

 

自分がラクになった方法が

相手にも効くとは限りません。

 

逆に、相手がラクになった方法が

自分に効くとも限らないのです。

 

なのに

「自分はこうしてもらって

ラクだったから、

あなたもこうしなよ」

と相手におしつけるのは

 

親切でもなんでもなく、

ただのおせっかいです。

 

ただの、ありがた迷惑です。

 

だからわたしは、

1対1のやりとりではなく

ブログという形で

自分のうつ経験を

書いていくことにしました。

 

【ブログは、読むか読まないかを自分が決められる】

ブログを読むかどうか

書き手ではなく、

読む相手に決定権があります。

 

 

このブログを読むかどうか、

どのタイミングで

どの場所で読むかまで、

 

読み手である

あなたが決めていいのです。

 

「このブログは合わないな」

と感じたら

読むのをやめていいし、

 

他のブログを読んでもいいし、

また戻ってきても

また去っていっても

なんの問題もありません。

 

もし誰かが「イマイチ」と

言っていたブログでも、

自分がその「ブログ」を好きなら

読み続けてもいいのです。

 

それは

読み手であるあなたが決めて

全然いいのです。

 

それが

ブログの良さです。

 

【その人の生き方を、経験を、否定しないこと】

ただ1つだけ、

お願いがあります。

 

それは、

たとえブログの内容が

合わなかったからといって、

 

それを書いた人の生き方までを

否定しないでほしい、

ということです。

 

「この本(ブログ)を書いた人と、

自分の考え方はちがうな」

 

そう思って、

それだけを認めて、

ただ読むのをやめ、

距離をとること。

 

そうしてもらえたら

あなたもブログの著者も

それぞれの道を

それぞれの生き方で

歩んでいけると思うのです。

 

 「自分がほしいものと違うので

書き直してください」

 

「あなたの生き方は

最低です」

 

「そんな考え方しか

できないのですか」

 

そんな否定の言葉ばかりが

あなたに届けられたとしたら、

あなたは受け止めることが

できますか。

 

 

 

自分の経験を否定され、

自分が生きていることすら

間違っているような言葉を

投げかけられて、

 

生きていけるでしょうか。

 

【この2つは、絶対にやらないと決める】

おなじ病名で

ひとくくりすること。

 

自分が受けてよかったものを

相手が望んでもいないのに

弱っている相手に

強引に押しつけること。

 

たとえ

自分の置かれている状況が

改善したとしても、

 

自分の病気が

過去のものとなったとしても、

 

この2つは

絶対に「やらない」と決める。

 

ただ、

それだけでいいのです。

 

それだけで

わたしもあなたも

そしてまわりの人もきっと、

もっとラクに生きていける。

 

そう思っています。

 

 

ではまた。