148センチの日常

ちょっとラクに日々生きる!うつになったから思うこと、大好きな本や暮らしの出来事をつづるブログ

【まずは困っている自分に気づき助ける】助けを求めない人を責めるのではなく、その人が助けを求められるような心の余白が自分にない、ということを認めるところから始まるのかもしれない。 

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【助けを求められないのには、それ相応の理由がある】

 

「自分が大変だから、

 忙しいから、迷惑かけないで」

 

という言い方を親や先生、

まわりのオトナがすると、

助けてほしい子ほど助けを求められない。

 

なぜなら助けてほしい子は

自分より相手を優先してしまい、

自分のことで迷惑をかけてはいけない、

相手の負担を増やしてはいけないと考えるから。

 

「自分が大変だから、

 忙しいから、迷惑かけないで」

 

ついこう言ってしまうとき、

その人はまず物理的な面で

タスクが多すぎるのだとおもう。

 

これ以上タスクが増えると

自分の心も病の領域に

足を踏み入れてしまうというのが

本能的にわかっているので、

 

こうした言葉を反射的に

言ってしまうのではないだろうか。

 

逆に言えば、

この言葉を自分が発していることに

気がつけたら、

心の病へと踏みこむ前に

タスクを減らせる可能性がある。

 

中には、自分にかなりの負荷をかけている

そのタスクが

自分だけの努力では減らせないこともある。

 

特に仕事においてそうなのだが、

そのタスクをするかしないかの権限を

自分がもたない場合がそうだ。

 

また人間関係で負荷がかかっているのに、

その人と物理的に離れられないときも

かなりの負担が心にかかる。

 

物理的に離れるためには

三者の協力が必要なのだが、

 

その第三者

「何かあったらいつでも相談してね」

といいつつ、

「忙しいから迷惑をかけないでね」

と言っていたらどうだろう?

 

ましてや

その負荷を物理的に軽減させられる第三者

そんな言葉を常に口にしていたとしたら

どうだろう。

 

相手を思いやれる人であればあるほど

ますます助けを求めることができなくなる。

 

相手に迷惑をかけたくない、

自分のことで相手がますます

大変になってしまう姿を見たくない。

 

そうしたおもいを抱えてしまう人ほど

助けを求められなくなる。

 

そしてそれは、

オトナでも子どもでもおなじ、

なのだ。


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【心の余白をつくるためには、物理的なタスクを減らすことが必要】

 

わたしは2人の子どもの母であるが、

息子は小3のとき

家庭でかなり荒れていた。

 

そのときのわたしは

フルタイム病棟勤務

深夜勤務

シフト勤務、

 

夫も会社員として

フルタイムで働いていた。

 

末娘もまだ小さかったのだが、

とにかくわたしは仕事も家庭も

「円滑にまわる」ことを

第一優先にしていた。

 

決まった時間までに

決まった家事育児が

終わっていること。

 

それが最優先事項であり、

自分のおもった通りに

家事育児が進まないと、

子どもを叱りつけていた。

 

自分は自分の時間を減らしてまで

家事育児をしているのに、

どうして子どもは

協力してくれないのか。

 

ただでさえ睡眠時間がないのに、

家事育児がキチキチまわらないせいで

もっと睡眠時間が減っていく。

 

そうしたイライラが、そのひずみが、

「息子が荒れる」という行動として

出ていたのだが、

 

当時のわたしは

目の前のことに精一杯で、

そんなことを考える心の余白が

まったくなかった。

 

ちなみに夫の名誉ための追記しておくと

いまも昔も夫は、家事育児への参加は

積極的な人である。

 

しかし当時はそれでもまわらないくらいに、

家事育児タスクが増えていた、

ということである。

 

その後さらには

職場での人間関係的な負荷も

グンと高まってしまい、

わたしはうつを発症してしまったのだが…

 

 

【「迷惑をかけてはいけない」という言葉は、「助けを求めてはいけない」と言っているのとおなじ】

 

当時のわたしは

「家庭ではどんなに大変だろうと、

職場に迷惑をかけてはいけない」

という一心であった。

 

なぜなら

「迷惑をかけてはいけない」という風に

自分が育てられてきたからである。

 

というか今もむかしも

「迷惑をかけるな」と言われて

育った人の方が

多いのではないだろうか。

 

しかしこの

「迷惑をかけてはいけない」という言葉は、

言いかえると「助けを求めてはいけない」

ということとおなじなのだ。

 

だから「迷惑をかけてはいけない」と

言われて育った人ほど、

助けを求められなくなる。

 

ことが大事件に発展したとき、

「なせ助けを求めなかったのか」

と言われても、

 

「迷惑をかけてはいけない」と

習ったからです、ということになる。

 

その結果、

大事な命が失われたとしたら?

 

そのときになって気がついたとしても、

そのときになって

誰かを責めたてたとしても、

人の命は、戻ってこない。

 

戻ってこないのだ。

 

【「迷惑をかけてはいけない」の、のろいを解く方法】

 

「迷惑をかけてはいけない」

「自分だけでなんとかしなきゃ」

 

こんな風に“自分が”考えてしまうのならば、

そんな自分にかかっている呪いを

解くことからはじめたらいい。

 

「自分が大変だから、

 忙しいから、迷惑かけないで」

 

そんな風に言ってしまっている

自分に気がつくことが、

まず第一歩だ。

 

次にはありとあらゆる手を使いながら、

とにかく物理的なタスクを

どんどん減らしていくこと。

 

そして確保した時間を、

自分の眠る時間

ほっとできる時間、

好きなことを楽しむ時間にあてること。

 

そうしてできた心の余白のなかに

 

「迷惑はお互いさま。

 困っている人がいたら助けよう」

 

(「人に迷惑をかけるな」と言ってはいけないより引用)

 

この言葉を、そっと置くこと。

 

そのことが自分だけではなく、

まわりまわって他者を助けることにもなる。

 

 

まだ「迷惑をかけてはいけない」の

呪いにかかっている他者に、

 

本当の意味で

「助けを求めていいんだよ。

 なぜなら迷惑はお互い様なんだからね」

と伝えることは、

 

自分だけではなく、

他者の心も軽くしていく、

 

自分だけでなく、

他者を助けていることに

つながっていく。

 

自分も他者も

生きやすくなるのだ。

 

【困っている他者を助けるためにはまず、困っている自分を助けるところから】

 

うつを発症したわたしは

結局、療養のために

仕事を退職した。

 

つまり、

物理的に大きな割合をしめていた

「仕事」というタスクを、

強制的に無くしたわけである。

 

家事育児はそれなりに残るとはいえ、

仕事というタスクがなくなったことは

わたしにとってかなり大きかった。

 

仕事を辞めてから最初の1年くらいは

うつの症状が重いときが多かったので、

 

仕事のタスクがなくなった

心の中のその空間は、

うつの症状で占められてしまっていた。

 

でもすこしずつ

うつが改善するにつれて、

心の余白ができるようになった。

 

そして本を読むことを通して

その余白に、

自分のなかに今までなかった言葉や考え方を

置いていくことができた。

 

「迷惑はお互いさま。

 困っている人がいたら助けよう」

 

この言葉も、その心の余白がなかったら

きっと自分のなかに置くことが

できなかった言葉だとおもう。

 

 

過大な心身への負荷

→うつ発症

→仕事を辞めて強制的に心の余白を作る、

というコースは、

確かに自分の人生を再構築することにつながる。

 

その一方で、やはりいろんな面で

ダメージが大きいコースであるのも

確かなので、

 

うつになる前に物理的なタスクを減らして

心の余白を作れる方が、いちばんいい。

 

「自分が大変だから、

 忙しいから、迷惑かけないで」

 

この言葉をよく言うようになったら、

危険信号が出てるんだ、と自覚できる人や、

 

それに気づいて

その人を助けられる人が増えていけば、

うつという病でしんどいおもいをする人も

減っていくのかな、なんて考えている。

 

 

荒れていた小3息子も、

わたしの心身が落ちつくにつれて

ほがらかになっていった。

 

先日は末娘が人間関係で悩んでいたことを

キャッチして、話を聴くこともできた。

 

夫とのケンカもかなり減り、

感情的にわめくのではなく

自分の気持ちを整理して

夫に伝えることもできるようになってきた。

 

困っている他者を助けるためには、

まずは困っている自分を助けるところから

なんだなと、

つくづくおもう今日この頃である。

 

では本日も

助けて助けられて

生きていきましょう。

 

おわり。