148センチの日常

ちょっとラクに日々生きる!うつになったから思うこと、大好きな本や暮らしの出来事をつづるブログ

【死を選ばなかった理由】死にきれなかったあとの人生が怖かったから、ただそれだけだった。

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【石橋をたたき割っていたわたし】

うつになる前から

「石橋をたたいて渡る」

どころではなく、

 

「石橋をたたき割る」くらい

アレコレと予測をする傾向が

とても強かった、わたし。

 

そして

「こうなったらどうしよう」と、

うまくいかなかった時のことを

真っ先に考えてしまい、

 

行動にうつさないことが

しょっ中ありました。

 

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「行動にうつさない」

という生き方は、

 

「行動して結果を得なければ、

前に進むことはできない」という

スタンスの人から見ると、

ひどくイライラする生き方です。

 

やってみて間違うからこそ

やってみて失敗するからこそ

見えてくるものや学べることが

人生にはたくさんあるからです。

 

わたしも今では

「迷うなら、まずやってみよう」

という

生き方のほうを指示しています。

 

しかし、

今までの人生のなかで一度だけ、

「悪い結末を想像して

行動にうつさなかった」ことが

「生きること」そのものに

つながったことがあります。

 

それは

「死ぬことを選択しなかったこと」

です。

 

【「この世から消えたい」という気持ち】

うつになってからのわたしは

とにかく自分自身を責め続け、

 

自分が存在していること自体が

迷惑なことなのだと

思いこんでいました。

 

 

それは

元来の性格だけによるものではなく、

うつからくる思考だったのですが、

当時はそんな区別など

つきませんでした。

 

「消えたい」

 

毎日毎日

その気持ちを抱き続け、

「この世から消える方法」を

探し続けました。

 

そんな「この世から消える方法」の

選択肢の1つ

「死ぬこと」でした。

 

【わたしが「死ぬこと」を選ばなかったのはなぜか】

 

結果的に言えば

わたしは「死ぬこと」を

選びませんでした。

 

なぜならわたしは、

「こうなったらどうしよう」

と、うまくいかなかった時のことを

真っ先に考えてしまい、

行動にうつさない性格だったからです。

 

 

「自殺をしたとしても、

死にきれなかったとしたら・・・」

 

 

死ねたあとの暮らしよりも

死にきれなかったときの暮らしを

想像してしまい、

 

その先にある

生きる苦しみに、

恐怖を抱いたのです。

 

 

四肢が意志の力で動かせない、

あるいは

消えない痛みにさいなまれる世界。

 

一生消えぬ後悔。

周囲からの視線。

 

看護師としての経験が

自分の意志を十分表示できずに

生きる暮らしを、

より具体的に想像させました。

 

 

死にきれなかったとき

目の前に広がるであろう世界を

わたしは恐れ、

 

「消えたい」にも関わらず

わたしは死ぬことを

選べませんでした。

 

【死なない理由が立派なものである必要は、まったくない】

 

「家族が居るのに、なぜ…」

「あんなに幸せそうだったのに…」

 

それは、

周囲からみたその人にしか

すぎません。

 

家族や幸せそうに見えることが

死を選ばない理由になるとは

残念ながら言いきれません。

 

わたしが死を選ばなかった理由

死にきれなかったあとの

人生への恐怖からでした。

 

でも

死を選択しなかった理由なんて

そんなものなのかもしれません。

 

しあわせだから生きる

という誰にでも言えるような

ポジティブな理由ではなく、

 

死にきれなかったあとの世界が

怖いから死なない、

そんな理由であったとしても

なんの問題があるでしょうか?

 

むしろ他人のために

見栄えのする“立派な生きる理由”を

抱えて生き続けるなんて、

それこそ、できない相談です。

 

「明日あのマンガが読みたいから

死なずにおこう」

 

「死ぬのは怖いから

死なずにおこう」

 

他人からみて

自分の死なない理由が

どう見えたっていい。

 

理由はどうあれ、

死なずに生きている。

 

そのことの方がよっぽど

大切だと、思っています。