148センチの日常

ちょっとラクに日々生きる!うつになったから思うこと、大好きな本や暮らしの出来事をつづるブログ

【新しいピッコロになろう】やりたくないことをいつも引き受けてしまう「本当の理由」に気づく

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「あー、やりたくなかった役なのに、

引き受けちゃったよ…」

 

「でも、この役、

誰もやり手がいなかったし、

私まで断ったら悪いよね」

 

こんな理由で、結局いつも

まわりの人のフォローばかり

している人はいませんか。

 

その仕事を引き受けたのは、

本当に「人のため」なのでしょうか。

【他の人が断ったやりたくない仕事を、なぜ私はわざわざ引き受けてしまうか】

自分がやりたくない仕事でも、

まわりが困っていたら

引き受けてしまう。

 

体調が悪いなと感じながらも、

休みますと言えない。

 

なぜなのでしょうか。

 

それは本当に、

「まわりのために」

「よかれと思って」

した行動ですか。

 

私の場合は

実はちがいました。

 

「仕事引き受けて、えらいね。」

「やっぱり、koyukiusagiさんが

いてくれて助かるわ」

 

そんな風に言って欲しかったから。

 

つまり、

「いい子でまじめな自分を、

維持したかったから」

だったのです。

 

【本人は自分の本当の気持ちに気づいていない】

しかし当の本人(つまり私)は、

あくまでも

「あの人が困っているから、

変わりにこの仕事してあげよう」が

自分の本音だと思いこんでいます。

 

だから他人から

「それって実は、

自分を良く見せたいからでしょ?」

なんて言われようものなら、

 

「なんでそんなこと言うの?!」

「私は、まわりが助かると思って

引き受けているのに!」と、

 

本気で泣き出しますし、

本気で抗議します。

 

いま、これを読んで

ちょっとドキッとした方・・・

 

いまならまだ、

大丈夫です。

 

【うつになってから、いい子にみられたい!という本音に気づいた私】

じつは私がこの本音に気づいたのは

うつの回復期になってからです。

 

「自分はほんとうは、

いい子にみられたくて、

 

無理な仕事も引き受けたし、

無断欠勤できなかったんだ」

 

この事実にやっと気づいたものの、

ショックで

はじめは全く

受け止められませんでした

 

「自分は本当は誰のためでもなく、

自分の外聞をたもつために

していたんだ」

 

この事実を認めることは、

「醜い心」が自分のなかにあると

認めることだったからです。

 

だれでも、

醜い自分なんて見たくありません。

 

「良い面ばかりの自分でいたい」

 

「自分の醜い部分となんて、

向き合いたくない」

 

だけど、

そもそも人間は

不完全な生きものです。

 

人の幸せを願うこともあれば、

人の不幸を望んでしまうこともある。

 

ドロドロして、

どうしようもない思いに

苦しむこともある。

 

それが人間です。

 

だから、

醜い自分を切り捨てても

いくら見ないふりをしていては、

 

新しい自分に生まれ変わることは

決してできません。

 

【神さまと融合した新しいピッコロに学ぶ新しい自分の姿】

ドラゴンボールの神さまは、

昔、悪の心を切り捨てて

神さまになりました。

 

でも、結局最後は

自分が切り捨てたはずの悪の心を

取りこんで、

 

新しく融合し、

新しいピッコロになりました。

 

なぜ、

神さま、つまり新しいピッコロは

強くなれたのか。

 

それは神さまが、

「悪の心をもつ自分」を

認めたからです。

 

新しい自分になる道・・・

 

それは

自分のなかにある、

どうしようもなく情けない自分、

どす黒い思いを抱いてしまう自分を

認めることなのです。

 

【自分のなかの本音を認めることが、新しい自分になる第一歩】

ちょっと注意してほしいのは、

認めることは、

否定や批判することとは

違う、ということです。

 

「こんな醜い気持ちを持つ自分は

ダメなヤツだ!」

「こんな醜い気持ちをもつ自分なんて、いなくなってしまいたい」

 

醜い気持ちを

認めているようにみえますが、

 

これは自分そのものを

否定しているだけです。

 

そうではなく、

「人間なのだから、

ドロドロした醜い気持ちを

もってしまうことだってある」と、

 

醜い気持ちをもつ自分まるごと、

「自分なんだ」と、

受けとめてほしいのです。

 

それこそが、

「自分で自分を認める」

ということなのです。

 

 

自分のなかに

どうしようもない醜い心があったって、

いいんです。

 

そんな自分を

おしこめなくてもいい。

 

むしろ、

気づいてあげてください。

 

心の奥底で

「気づいて!」「認めて!」と

泣いている自分がいることに。

 

自分のなかにいる自分は、

全部ひっくるめて「自分」だから、

 

なにひとつ、

切り捨てなくていいんです。

 

切り捨てず、

そんな自分がいることを

「認める」だけでいい。

 

それだけで、

新しい自分への道は

開けます。

 

もちろん、

ピッコロみたいに

一気に新しい自分になる必要は

ありません。

 

ゆっくりでいいんです。

 

ゆっくりでいいから、

自分のなかにある気持ちを

全部出し切って、

認めて、

 

新しい自分になる一歩を

踏み出しませんか。