- 【心も体もホッとする場所】
- 【「変わり者」は、いつの時代にもいるもの】
- 【「時代」が生きづらさを生む】
- 【時代なんていうものから離れて、ゆっくりする場所】
- 【自分の事情は抱えたまま、生きてていい】
- 【今回紹介した本はこちら】
【心も体もホッとする場所】
体の居場所と
心の居場所がズレていることは
よくあります。
例えば学校。
体は教室にいるのに
心は不安でいっぱいで、
「ここは私の居場所じゃない」と
心が叫んでいたり。
例えば職場。
体は動いて仕事をしているのに、
シフトが終わったとたん、
そこは私の居場所ではなくなります。
心と体の両方が
「ホッとする」場所、
それが
本当の居場所です。
これは、
そんな居場所のお話です。
【「変わり者」は、いつの時代にもいるもの】
病院のなかにありながら、
誰でも入れる普通のカフェ、
それが「院内カフェ」です。
院内カフェ店員の相田さん、
カフェをおとずれた孝昭・朝子夫婦、
常連客のウルメと医師の菅谷・・・。
章ごとに主人公が交代しつつ、
5人がそれぞれ抱える事情が
少しずつ明らかになっていきます。
主人公のひとり、カフェ店員の相田さんは
不妊に悩む女性であり、
まだ売れていない小説家です。
相田さんはある日、
同じカフェで働く村上くんの
ある考え方を聞き、
子どもができない自分のことを
「今の環境の変化に適応できなかった、ってことなのかな」
「自然界からいらないです、と言われたのかな」
と、考えるようになります。
そんな妻・相田さんに
夫の航一はこう言います。
「選ばれなかったんじゃなくて、
もし何か環境がすごく違うことになっていたら、
発動することになっていた『種』
なんじゃないかな。
今の時代では出番がなかっただけで」
「そう。
何があるかわからないから、
いつの時代にも、
おれたちみたいな変わり者がいることは
必要なんだよ。(以下略)
(「院内カフェ」より引用)
人それぞれの特性が
「正しい」かどうかなんて、
誰にもわかりません。
今の時代では
生きづらさにつながる特性でも、
時代が違えば
とてつもない才能だったかもしれないのです。
だから、
たとえ今、自分が持っている特性が
生きている時代には合わない特性だったとしても、
自分を責める必要は全くないのです。
【「時代」が生きづらさを生む】
昔はオットは仕事をして、
妻は家事、という時代でしたが、
今はもう、
共働きを国が推してくる時代に
なってしまいました。
昔は共働き夫婦の方が
肩身がせまかったのに、
今度は
専業主婦であることを
不思議に思われる時代に
なっています。
こんな風に
目には見えないけれど
時代とか、
世の中の雰囲気とか、
そんなものが
世間にはあるらしいです。
時代が変わるには
長い時間がかかりますし、
時代が変わることで
生きづらさがなくなる人もいれば、
新たに生きづらさを抱える人も
出てきます。
おかしな話です。
だって本当は、
どんな時代に生きていても
自分は自分だし、
相手は相手なのですから。
【時代なんていうものから離れて、ゆっくりする場所】
どんなに自分をもって生きようとしても、
「そんな生き方は時代に合わないよ」
「もっと考え方を変えて生きなよ」
そんな風に言い寄ってくる人が
必ずいます。
元気なときには
笑顔で受け流せる言葉も、
弱っているときにそう言われると
「やっぱり私の生き方って、ダメなのかな」
と、落ち込んでしまいます。
弱っているときには
「自分だけの居場所」
つまり
「心も体もホッとやすめる場所」で
やすむことが必要です。
【自分の事情は抱えたまま、生きてていい】
院内カフェ店員の相田さん、
カフェをおとずれた孝昭・朝子夫婦、
常連客のウルメと医師の菅谷・・・。
彼らにとって、
院内カフェは「心と体がホッとする場所」です。
5人はそれぞれ、
生きづらさを抱えています。
そんな彼らのよりどころとして、
院内カフェはあります。
院内カフェは
病院の中にありながら
誰でも入れるふつうの場所です。
院内カフェに入るのに、
誰の許可もいりません。
患者となって病院を利用する人も
そうでない人でも
誰でも入って落ちつける場所です。
今、
院内カフェのあの椅子に座るあの人も、
コーヒーを出してくれたあの店員さんも、
それぞれの事情を抱えて
生きています。
だから、
あなたも「あなたの事情」を抱えながら
生きていていいし、
私も「私の事情」を抱えながら
生きてもいいのです。
ちょっと心と体が疲れたら、
「院内カフェ」のような
自分だけのよりどころで
ゆっくりゆっくり、
やすみましょう。
【今回紹介した本はこちら】