148センチの日常

ちょっとラクに日々生きる!うつになったから思うこと、大好きな本や暮らしの出来事をつづるブログ

【これからの働き方を考える】ワークライフバランスを疑うところがスタート。暮らしのなかに仕事があるという考え方へ

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【「働き方生き方の迷宮」入り】

手に職を、と

看護師になった私。

 

看護師向いてないなと思いながら

続けていましたが、

いろんなことが重なり

うつになりました。

 

看護師として働いていた自分を

肯定できず、

つらい日々が続きましたが、

 

本がきっかけで

適職=生活のための仕事=看護師

と考えることができるようになり、

 

看護師として働いていた自分を

受け入れられました。

 

詳しくはこちらの記事をどうぞ↓

148cmnonitijyo.hateblo.jp

 

「適職」という考え方を知り、

 

「看護師は天職ではななかったけれど

適職としてがんばってきたじゃない」と

 

看護師として懸命に働いていた自分を

肯定できたことは大きかったです。

 

しかし

これからのことを考えると、

看護師を再開するのか

悩んでしまう自分がいました。

 

そんなときに

出会った本があります。


「人生を盗まれない働き方」

というサブタイトルが

とても気になるこの本。

 

人生を盗まれた働き方って?

 

人生を盗まれない働き方って?

 

そのちがいを知りたくなり、

読んでみることにしました。

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【ワークはライフの中にある!?】

突然ですが

「ワーク・ライフ・バランス」

という言葉を聞いたことがありますか?

 

ワーク=仕事

ライフ=仕事以外の生活

バランス=調和

 

をとりながら生きることです。

 

(参考サイト「知っていますか? ワーク・ライフ・バランス | 特集-ワーク・ライフ・バランス | 政府広報オンライン」)

 

看護師時代から

耳にタコができるくらい聞かされた

「ワーク・ライフ・バランス」ですが、

 

「ワーク」と「ライフ」

2つにわけてバランスを取る

 

という考え方に

疑問をもったことは

今までありませんでした。

 

 ところが著者はこう言うのです。

 

本当にワークとライフを分けて、

ワークは人生の負荷である、

という考え方でいいのだろうか。

 

(「ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方 [ 伊藤 洋志 ]」より引用)

 

この文章を読んで、

 

ワーク(仕事)と

ライフ(仕事以外)を分ける

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という考え方に、

はじめて疑問がうかんだのです。

 

 

プライベートを充実させるために

仕事をがんばる。

 

仕事をがんばりすぎて

体を壊す。

 

プライベート充実どころか

療養生活・・・

 

これでは

何のためのワークなの?!と

思いたくなりますよね。

 

ワークを一生懸命やっても、

ライフが充実するとは限りません。

 

生きるためにお金も

ある程度は必要ですが、

 

健康あってのお金

健康あっての遊び、です。

 

つまり

健康をそこなうくらい働くことは

「百害あって一利なし」

なのです。

 

個人レベルではじめられて、

自分の時間と健康をマネーと

交換するのではなく、

 

やればやるほど頭と体が鍛えられ、

技が身につく仕事を

「ナリワイ」(生業)と呼ぶ。

 

(中略)

 

「ナリワイ」は、「生業」だから、

生活でもあり仕事でもある

 

労働かと言われれば、

やっていて楽しいということも

大事な条件なので、

単なる労働ではない。

 

「ナリワイ」はあくまで、

人生を直接充実させるような仕事を

指す。

 

(「ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方 [ 伊藤 洋志 ]」より引用)

 

仕事と暮らしは

別れているのではなく、

 

実は

暮らし=人生であり、

 

暮らしの中に、仕事がある。

 

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この考え方に

ハッとしました。

 

【名前のない小さな仕事は、世の中にたくさんある】

そもそも「仕事」に

名前をつける必要は

あるのでしょうか。

 

名もなき仕事はあっていいし、

それを組みあわせて

報酬を得られれば、

それは立派な「仕事」です。

 

会社に勤めるとか

立派な肩書きのある職につくことだけが

仕事なのでしょうか。

 

こたえは「ノー」です。

 

世の中には

いろんな人がいます。

 

だから仕事だって

その数だけあっていいはずです。

 

 

困ることは

ナリワイの種である。

 

(「ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方 [ 伊藤 洋志 ]」より引用)

 

そもそも仕事とは

「生活の中の困りごと」を解決し、

それを喜んでくれる人から

お金をいただく、ということ。

 

悩みあるところに仕事あり、

悩み解決して喜ぶ人々あり、

 

 

つまり

ライフのなかにワークあり

なのです。

 

その仕事を

独占してしまうのではなく、

 

色んな人と楽しみながら

仕事をしていく。

 

楽しみながら仲間をつくり、

困りごとを解決していく。

 

小さな仕事を組み合わせて

儲けるのではなく、

 

必要な分だけの稼ぎを得て

生きていく。

 

だから「仕事」がおもしろい。

 

だから「人生」がおもしろい。

 

これが

「人生を仕事に盗まれない生き方」

なのです。

 

【人生=暮らし。暮らしの中に仕事がある】

私はどんなときも「私」です。

 

笑っているときも

泣いているときも

怒っているときも

 

全部が「私」です。

 

それを仕事とか仕事以外とか、

切って分けようとするから、

おかしくなるのですね。

 

ライフのなかに

ワークがある。

 

それさえちゃんとわかっていれば、

きっと

仕事用の自分に切りわけて働く、

なんてことは

世の中からなくなるんじゃないか。

 

そう思います。

 

【今回紹介した本はこちら】

ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方 (ちくま文庫) [ 伊藤 洋志 ]