【わたしが思えば、わたしは幸せ。】
過去記事にこんなのがありました。
詩を書こうと思ったわけではなく、
書いたら詩になっていた記事です。
「わたしの幸せは、わたしがつくる。
わたしが思えば、わたしは幸せ。」
まさにこれが私の「幸せ」です。
詩といえば谷川俊太郎さんですね。
詩作だけでなく、絵本、エッセイ、翻訳から脚本まで、
80歳を超えてなお、精力的に活躍されています。
そんな谷川さんが考える「幸せ」について
知ることができる本があります。
今回はこの本を読みつつ、
うつで一番どん底だったときに親から言われた言葉を
振り返りながら、
「わたしの幸せは、わたしがつくる。
わたしが思えば、わたしは幸せ。」 は本当なのか?を
考えてみたいと思います。
【「これからどうするんだ」の本当の意味】
うつで休職したとき、親からは
「これからどうするんだ」
と言われました。
そう言われたときは、特に症状がきつい時期だったので、
「今きついのに、これからなんて考えられない」
と思いました。
親はどうしても、
子の未来を心配してしまうものです。
でも「今」が苦しいのに、
「未来」の暮らしのことを考えて
今を過ごすなんて、できないですよね。
「これからどうするんだ」
という問いかけは、
「お前は今、不幸なんだから
幸せになる方法をちゃんと考えろ」
という命令です。
どうすれば、何があれば、幸せになれるかと考えているとき、
ヒトはあんまり幸せではない。
(「幸せについて [ 谷川俊太郎 ]」より引用)
それは
「お前は幸せじゃないんだぞ」
という勝手な他人の決めつけでもあるし、
「幸せについて考えなさい」
と幸せでない道を考えるように
勧めているようなものです。
【自分で自分に「OK」が出せる幸せ】
うつの症状が特に強かった時期は
本当に苦しかったです。
でも今思えば「不幸」ではありませんでした。
「新たな幸せのはじまり」だったんです。
うつになったおかげで、
「いい子でいなきゃ」
「真面目にがんばらなきゃ」
という呪縛から、解き放たれたのですから。
嬉しいことは喜び、
悲しければ泣く。
自分が感じている感情を
自分で肯定してあげられる。
感じていいんだよと、
自分で自分にOKが出せる。
これぞ「幸せ」です。
長続きする幸せは平凡な幸せだ、
言葉を代えるとドラマチックな幸せは長続きしないからこそ濃い。
幸せが毎日の暮らしの低音部を担っていて、
幸せだっていうことにも気づかないくらいの、
BGMみたいな幸せが、
一番確実な幸せかもしれない。
(「幸せについて [ 谷川俊太郎 ]」より引用)
今でもたまに
「これからどうするんだ」
と言われますが、
「ゆっくり休んでから考えるわ」
と、距離をおいて答えられるようになりました。
【幸せかどうかは「自分」しか決められない】
自分のまわりと
他人のまわりを比べて
どっちが幸せかなんて考えても
こたえは出ません。
同じような境遇でも
幸せと感じる人もいるし、
そうでない人もいる。
自分が
「幸せだなあ」
と感じたら、
誰がなんと言おうと
「自分は幸せ」
なんです。
ラクで楽しいが幸せと感じる人もいれば、
忙しく働いているときが幸せな人もいる。
幸せは、いつどんなときに感じてもいいんです。
「幸せ」と感じた自分をまるごと
自分で包んであげてください。
【今回紹介した本はこちら】