148センチの日常

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【うつ回復期と私8】「人の役に立たなきゃ」とあせり始めたら黄色信号!まずはゆっくり、息を抜こう。

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こんにちは、

こゆきうさぎです。

 

外出自粛の毎日ですが

息抜き

できていますか。

【そもそも、息を抜くってなんだろう?】 

【息を抜く】

 

物事の途中でひと休みする。

 

(息を抜く(イキヲヌク)とは - コトバンクより引用)

 

人間が生きるためには

「息」をしないといけません。

 

でも、

ずーっと息を吸いっぱなしでは

苦しいし、しんどいです。

 

なにより息を吐かなければ

新しくて新鮮な空気も

とりこめない。

 

だからリラックスする呼吸は

吸うよりも吐くほうが

とても大事です。

 

「息を抜く」は、つまり

「ためていた息を吐く」

ということです。

 

いろいろなものを吸いこむ

インプットも大事ですが、

吸いこみすぎてばかりでは

自分がパンクしてしまいます。

 

だから、ときどき意識して

「息を抜く」こと

自分をパンクさせないコツ

なのですね。

 

【調子が良くなり、息を吸って吸って吸いこみ続けた結果…】

うつが良くなってきたわたしは

知らないうちに

「息を吸ってばかり」に

なっていたようです。

 

いままでは

心のエネルギーが枯渇していて

できなかったことも、

 

休養のちからで

エネルギーが充電され、

できるようになってきました。

 

そうすると

今でじっとしていた分、

急激に

あちこち動きたくなります。

 

「アレもしたい!

コッチにも行きたい!

ソレも欲しい!」

 

つまりは

ずーーーーっと

「息を吸いっぱなし」に

なってしまったのです。

 

息を抜くことなく

吸いこんでばかりだと

どうなるでしょう?

 

吸いこみすぎた息で

自分がパンクしてしまいますよね。

(息を吸いこみすぎた蛙が

パンクしてしまう昔話、ありましたね)

 

わたしの場合、

こんな形であらわれました。

 

【「人の役に立たなきゃ」という焦りが、呪いの言葉をささやき始める】

調子がよくなり動けるようになると

「自分は良くなってきた」

と感じられるとともに、

 

「こんな休んでいていいのか」

という気持ちも生まれます。

 

すると何がおこるのか。

 

はやく仕事について、

はやく人の役に立たなきゃ

 

そんな焦りが

どんどん膨らんでいきます。

 

そして「人の役に立たなきゃ」と

思いはじめるということは

つまりは

 

「仕事をしていない自分は

価値がない」

と、言い聞かせているのと同じです。

 

アレ?

これってどこかで

経験したことある感じ…ですよね。

 

そうです、

うつと診断されたばかりの頃、

 

休職になり

仕事ができなかった頃、

 

「仕事していないわたしなんて、

仕事できないわたしなんて、

役立たずだ!」

 

という呪いにとらわれていた頃と

同じなのです。

 

【生産消費社会というものさしで人を測るおそろしさ】

確かに

「生産消費社会」という視点だけで

今の自分を見ると、

 

目に見える労働をしていないわたしは

消費しっぱなしの存在です。

 

「生産消費社会」からみたら

生み出さないわたしは

役に立たないのかもしれません。

 

けれど

そもそも「生産消費社会」という

1つのものさしだけで

人に価値があるかを決めるのは

いささか乱暴です。

 

生産しなくなったとたん、

「じゃ、あなたは今日から

役立たずね」なんて社会で

暮らしたいですか。

 

もちろん、

暮らすためには誰かがモノを

生み出してくれることは

とても大事です。

 

自分が生みだしたモノに

貨幣と交換できるくらいの

魅力ある価値があることは

すごいことです。

 

でも、人間の価値は

それだけでは決まりません。

 

【生産消費社会から、一歩離れて息を抜こう】

自分が生み出しているものは、

常に目に見えるモノだけとは

限りません。

 

自分が生み出しているものは、

すぐ人の役に立つモノとは

限りません。

 

気の遠くなるような年月を経て、

ようやく役に立つモノ

かもしれない。

 

それは

自分にも誰にもわかりません。

 

「はやく人の役に立たなきゃ」

 

そんな風に思いはじめたら

焦りがたまりすぎた

黄色信号です。

 

まずは

息を抜きましょう。

 

まずは

生産消費社会のものさしから

一歩、離れてみましょう。

 

離れても、

それでも自分は

生きています。

 

大丈夫。

 

生産消費社会もあるけれど、

そのものさしだけでは

測りきれない自分が、

今日もそこにいます。

 

ではまた。